サッカーチームの選手たちには全員にそれぞれ大切な役割というものがある。チームが満足いく結末を迎えるためには一人一人がその役割に気づき勤めを果たさなければならない。

その話をするとき必ず引き合いに出してしまうのが、2006年のドイツW杯に敗れた日本代表監督ジーコからバトンを渡されて次大会南アフリカを目指したイヴィチャ・オシムのこの話だ。

オシムは第一声、日本には水を飲む選手は多くいるが、水を運ぶ選手がいない、と発した。オシムの言葉は難解なことで知られるが、第一声からこんな風に代表を評されて周りはかなり戸惑いを覚えたかも知れない。

オシムが言う、水を運ぶ選手、とは、簡単に言えば水を飲みたがる前線のアタッカーたちに、ディフェンシブな貢献により相手からボールを奪って欲しがるボールを出してあげる役目ができる人、のことを意味する。

この件り、サッカーファンならさらに食いつきたい話ではあるが……ジーコジャパンにいなくてオシムジャパンでその位置で採用された選手は誰?そしてその選手はどのようにチームに貢献して監督の評価を得たのか、などなど……ま、尽きないので……ここではその解釈を極端に緩めて、ソフトクリーム以上に甘々で現在のアル戦士に当てはめて考えていきたいと思う。

しかし、果たしてそのアルチームの中で、水を運ぶ、ようなことのできる選手はいるのか?

答。未来完了形ではあるが、運動を惜しまず自分をコントロールしつつ周囲への気遣いもできる。推進力もありシュートセンスも持っている。日々の努力を成果で出してきた期待の選手。技術的に特筆はないし褒められるところも、いまは、ないが彼のサッカーに対する姿勢は素晴らしい。それはノートにも滲み出ているし、発言からも感じられる。しゅん太は試合のたび人一倍汗をかく。

彼一人で水を運べるのか、とオシムに言わしめた元日本代表福西崇史も、もしかして、おそらくだが、少年時代は、技術の足りなさを努力で補うために日々の時間を費やしたかもしれない。

比類に及ばずともシュン太が運んでくる水は、ただ大量に運んでくればいいというものでもない。タイガとハヤトは運ばれてきた美味しい水を適度に飲むことが大切だ。 さあ、この状況、ピッチ内でのイメージを膨らませることができるか?

水を運ぶ?水を飲む? その言葉の意味を文面から読み取り、それをピッチ内の自分に置換して、やるべきことの思い立ち、実現するための準備、を一度じっくり考えてから走り出したらどうか?

きみたちのこの土日での『学び』の中で、自分のチーム内での『役割』について反省してみる必要がある。それは次の機会への準備となり、間違いを侵さないための進歩となるからだ。